ほのかな願いを青雲に託して
坂道を登ると息切れする。時に脚を止めて深呼吸すると、眼は単調な小石混ざり土色坂道から離れて、青い天と輝く一朶の白い雲に向く。すると心がときめき、また元気が出る。明治維新後の日本を支えてきた一つの力として、それを愛媛県松山市に求めた司馬遼太郎は、兄の秋山好古中将(日本陸軍騎兵の創設者、奉天大会戦を勝利に導いた参謀)及び、その友人の正岡子規(近代俳句の創設者)について長大な物語を纏められた。
作者は、これらの人々人生途上に「坂の上の雲」を見て発奮し努力したに違いないと考えられて、この題名を決められものと想像が逞しうされる。
青い空と白い雲は短縮して文字にすると、色では青白、形では空雲となるが、前者は青白い青年が連想され、後者は層の名前ともとられる。
交差して並べてみると、空白もまたカラッポでいい感じではない。どうしても”青雲”こそが活き活きとして語路もよく、私共に親しく語りかけてくる事を遥か遠くから知っている。その上「青雲の志」を思い起こさせる。そして青雲に浮かぶ白雲は、希望と無限の可能性を現している。
この青雲こそは小松3番目のライオンズクラブにふさわしく、私共メンバーの魂にも似ている。
命名依って件の如し。
青雲バナー
"芭蕉も感激した「実盛の兜」
遥か昔、武烈天皇5年(503年)の時に創建されたと伝えられている歴史ある多太神社。ここには、とある伝説の兜が奉納されている。国指定重要文化財で、旧国宝でもあった、斎藤実盛の兜である。
時代は平安末期、源平合戦のまっ最中。兜の持ち主だった斎藤実盛は、平家の武将として戦っていた。倶利伽羅峠の合戦で敗れ、加賀の篠原で再び陣を取り戦ったが、木曾義仲軍の前に総崩れとなった。 そんな中、実盛は老体であったが踏みとどまって奮闘し討ち死にした。その後、義仲がその首を池で洗わせると、墨で塗った黒い髪がみるみる白くなり、幼い頃に命を救ってくれた実盛の首だとわかった。 義仲は人目もはばからず涙したという。実盛は出陣前からここを最期の地と覚悟を決めており、老いを侮られないようにと白髪を黒く染めて出陣したのだ。時に実盛73歳の老齢だったという。
後に、義仲が戦勝祈願のお礼と実盛の供養のために、多太神社に兜を奉納したのである。
この兜にまつわる実盛と義仲の話は『平家物語』巻第七に「実盛」として語られている。
それからずっと後の元禄2年(1689年)、松尾芭蕉が「奥の細道」の途中にこの地を訪れた。兜を見た芭蕉は実盛を偲び「むざんやな 甲の下の きりぎりす」と句を詠んだ。境内には句碑が建っている。
(小松市HPより)
多太神社 |
斎藤実盛の兜(国指定重要文化財) |
白髪に墨を塗っている実盛像 |
兜の像 |
芭蕉の句碑 |
芭蕉像 |
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